福祉人に他者理解は必要か?アセスメントとの関係

チームづくり

私たち福祉人にとって、自己覚知と同様に、
大切だと言われるのが「他者理解」です。

利用者さんと関わっていくにあたってや、
同僚等とチームワークを形成するにあたって、
「他者理解」は必須のような言われ方をします。

それって本当にそうなのでしょうか?

このブログでは、固定観念にとらわれず
じっくり考えてみたいと思います。

なぜ多くの人が他者理解が必要だと言うのか?

みなさんも1度や2度は、「他者理解が大切だよ!」
という言葉を耳にしたことがありますよね。

実はこんな風に「他者理解は本当に必要なのか?」と、
問題提起している私も、今まで何度も、何度も、何度も、
同僚や部下、そして研修講師を務めた時には、

「自己覚知の次に、他者理解が大切」と言ってきました。

それは、あまり良い言い方ではありませんが、
他者理解が、他者とのコミュニケーションにおける
重要なアイテムやツールになると考えているからです。
詳細は、後に書きたいと思います。

他者理解 = アセスメント?

私たち福祉人がよく耳にする言葉に「アセスメント」というものがあります。
ここで整理しておきたいのが、他者理解とアセスメントの関係についてです。

あくまで私の個人的な見解を書きますと、

アセスメントとは、「事前評価」と直訳されることもありますが、
サービス提供にあたって、本人が話をしたこと等の主観的な情報や、
数値やデータ、周囲の専門職等が考えている客観的な情報をもとに、

「どのようなサービスが必要なのか」、
「利用者さんやご家族は何を希望しているのか」

といった、利用者さんを取り巻く環境・状況等を把握・分析し、
何を必要としているかを正しく評価・査定し、
支援の方向性を考えることです。

つまり、アセスメントとは、
主観的情報客観的情報 とをバランスよく把握していくことだと考えています。

従って、ケアマネジメント等でよく使われる
「見立て」という言葉が当てはまるのがアセスメントです。

一方で、私が考えている他者理解は、
相手の主観情報が中心です。

他者理解は、他者(相手)の様々なことを想像はしますが、
「見立て」はしないのです。
つまり、専門職等であっても、その先入観等はできるだけ排除して、
本人の想い(思い)を理解していくことに集中することだと考えています。
(繰り返しになりますが、これはあくてまで私個人の見解です)

私も相談支援専門員という仕事をしていますので、
アセスメントは、業務上たくさん行います。

その際に、常に注意していることが、
自分の価値観や基準で、利用者さんの能力や可能性を
枠に当てはめないこと。(専門職本位ので「見立て」をしないことです)

仮に専門職として「見立て」をしたとしても、
その「見立て」は間違っている可能性があることを忘れず、
状況によってはすぐに見直すことが大切だと思っています。

結局、他者理解は必要なの?

↑で、他者理解は、他者とのコミュニケーションにおける
重要なアイテムやツールになると書きました。

これは、「人」の特性として、

「自分のことを理解してくれた人を好きになる」
「自分のことを理解しようとしてくれている人を好きになる」

というものがあるからです。

この場合、他者理解は、あくまで目的ではなく手段になります。

他者を理解する(理解しよう)とすることで、
お互いのコミュニケーションが良好になりますので、
チームワークを形成する1つの手段として他者理解を促進するのが良いでしょう。

語弊があるかもしれませんが、
もし、他者理解をしなくても、しっかり相手を(他者を)尊重したり、
敬意を払ったりすることができて、チーム形成ができれば、
他者理解は必要ないのかもしれません。

一方で、利用者さんの支援の方向性を決めるには、
他者理解は、手段ではなく目的だと私は考えています。

他者理解に重きを置いたアセスメントが必要だと思っています。

これも少し語弊があるかもしれませんが、
他者理解(特に利用者さんの想い等の理解)なくして、
支援の方向性も何も言ってはいけないのだと思っています。

利用者さんの支援の方向性を決めるには、
他者理解は絶対に必要なのです。

まとめ

上記したように、チームを形成する上では、
他者理解は手段です。

では目的ではないのだから、他者理解はそれほど必要ないのか?
と言えば、私の経験上、ある程度は必要だと感じます。

人間関係がこじれるきっかけの多くは、感情が関係しています。

「なぜあの人は、あんなことを言うのだろう。ムカつく
「あの人のあの態度は許せない
「あの人があんなことをするなんてショック

これらは、相手のことを理解することで、
一定程度、自分の感情のクッションになってくれます。

「あの悪い態度は、体調が悪くて、それどころではなかったんだな・・・」
「あの発言は、きっと彼の本心ではなく、立場上仕方ないものだな・・・」

とか、その理由が分かるだけで、少し許せる気持ちになるものです。

名著「人を動かす」D・カーネギーの1番最初には、
「盗人にも五分の理を認める」という原則が出てきます。

これは、どんな悪人であっても、その悪事をはたらくには、
そうなるだけの理由があるのかもしれないから、
すぐに批判するのではなく、それを知るようにしてみても良いかも・・・
という原則です。

まさにこれは、他者理解を推奨していますよね。

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またチームで仕事をする1番のメリットは、
お互いの力が掛け合わされる相乗効果です。
だとすれば、お互いの強みを知らないと、なかなか相乗効果は生まれません。

そういう意味では、福祉人がチームで仕事をするには、
やはり他者理解は必要だと思います。

そして、利用者支援における他者理解は、
すでに上記したように、必須だと考えています。

とはいえ、1人の支援者が利用者さんのすべてのことを理解している必要はないと思いますし、
実際にそれは不可能に近いです。

利用者さんを支援するチームメンバー全員
その役割に応じて利用者さんの情報を持ち寄ることで、
その全体像を理解できるのであれば、何も問題ありません。

しかし、利用者さんの想い、希望等は、
チームメンバー全員が、しっかり理解している必要があると思います。

ということで、
福祉人にとって他者理解は、
手段の時や、目的の時もあるが、
やはり欠かすことができないというのが私の結論になりますし、
他者理解が福祉人の仕事と言っても過言ではないのかもしれませんね。

次回の以降のブログでは、
どのように他者理解をしていけば良いのか?
をお伝えしていきたいと思います。
→ このブログを書いている人はどんな人?

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