改めて問う 障害とは何か?障害?障がい?障害者とは? まずは福祉人から

福祉関連

福祉人のみなさんこんにちは。
今回は改めて「障害」について考えてみたいと思います。

ここ最近、「障」を「障がい」と表記すること増えましたよね。
役所や福祉事業所等でも「障がい福祉課」や「障がい福祉事業所」という名称にしている所も出てきています。

誤解を恐れずに書けば、
これは「害」という字が持つイメージが悪いために、
「障害者」まで害になると思われたくない・思いたくない というメッセージを込めてそのように表記しているのでしょう。

私も初めてこれを聞いた当時は、
「なんて素晴らしいんだ!」 と感じ、
積極的に「障がい」 を使ったものです。

しかし、最近は「障害」を使います。
それについては、人それぞれ意見はあるでしょうが、
私の考えを書きたいと思います。

日本の法律に基づく障害者とは?

そもそも日本の法律ではどうなっているのでしょう?
「障害者基本法」「障害福祉サービス」
「障」を使っています。

そして障害者基本法では、「障害者」について次のように定義しています。

身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む)その他の心身の機能の障害があるものであって、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう

社会的障壁 障害がある者にとつて日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう。

障害者基本法第2条

上記をまとめると、
①心身の機能の障害があるもの

②社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態
③障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のもの

と、なりますかね。
①と②③の間を一行開けたのですが、これは入力ミスではありません。

①と②③には大きな違いがあうと考えるからです。

①は、障害は、障害者にあると考え、
②③は、障害は、社会にあると考えているのです。

当時の私は「①の障害は、障害者にある」と考えていた

私は2000年(平成12年)に知的障害(入所)更生施設に入職しました。
若い人には馴染みのない施設だと思いますが、今の障害者支援施設で、当時はそのような種別名がついていたのです。

「知的障害施設」今見るとゾッとしますね。

更生という言葉は、デジタル大辞泉によると、

 生き返ること。よみがえること。蘇生。荒れ果てた休耕田を更生させる」
 精神的、社会的に、また物質的に立ち直ること。好ましくない生活態度が改まること。「自力で更生する」
 不用品に手を加えてもう一度使えるようにすること。「廃品の更生」「更生紙」

つまり、好ましくないものを改めるという意味なのです。
(誤りを正す)を使っていないのは、とりあえずの配慮なのかもしれませんが・・・

そんな言葉が使われている知的障害更生施設に勤務した私は、
本当に本当に恥ずかしながら、無意識か意識的かに関わらず、
入所していた利用者さんを文字通り「更生」させるのが仕事だと思っていました。

つまり、障害は障害者にある と考えていたのです。
まさに障害者基本法の①に近い考え方です。
ちなみに、未だに「知的障害者更生相談所」というのは存在しています。

社会は定型発達・健常者という「多数派」の人向けにデザインされている

そんな私の考え方が①から②③に変わったのは、香川大学の坂井聡先生の影響が大きいです。

坂井聡先生は、特別支援学校での現場経験が豊富な研究者で、
自閉症や発達障害がある人とのコミュニケーションの本を出版されたり、研修会をされたりしています。

私が初めて坂井先生の研修を受講したのが2015年か2016年。
こう考えると2000年に障害福祉関係の事業所に入職して、今が2022年。

②③の考え方になったのは、まだたった7年ほどで、
障害福祉人生では、7年/22年。たった1/3程度なのです。
まだまだ ひよっこですね。

できればみなさんにも坂井先生の研修を受講してもらえたら良いのですが、なかなかそうもいきませんので、研修内の坂井先生の言葉をいくつか紹介しますね。

障害者としての診断があるのは決して悪いことではない。

診断があれば、権利として支援を依頼できる。

権利として支援を依頼するために診断してもらうと言っても良い。

なぜなら、障害は障害者にあるのではなく、
周囲の人や環境が社会参加や活動の障害になっているのだから。

がんばってもどうにもならない部分は、

適切な支援をしてもらいながら社会参加し、活動できるのが当然の権利

障害は、障害者にあるのではなく、周囲の人や環境(理解の無さや、支援の無さ)にある。

時に支援者が、その人の障害になってしまっていることすらある。

コミュニケーションの方法を変えられる(合わせられる)のは、

コミュニケーションが得意な側である。

例えば、「頑張って言葉を覚えるんだよ! そしたらコミュニケーションがとれるからね。」
というのは違うと思う。

コミュニケーション能力の高い側が(得意な側が)、コミュニケーション方法を変えれば良いだけ。

依存先(頼れる先・頼れる人や物)が多いほど自立できる。

坂井先生の言葉の抜粋に過ぎませんが、何か感じるものがありませんか?

それにプラスして、私は先日「そうか、そういうことだよね!」という言葉に出会いました。
それが

社会は、定型発達者、健常者という「多数派」の人向けにデザインされている。

これは、NPO法人ま・るーく主催の「おうちでdeタッチケアぐるーみん」
という講演会に参加した時に、講師の三宮華子さん(はーにゃさん)が言っていたことです。
(「おうちでdeタッチケアぐるーみん」自体も感動だったので、これについても後日ブログにします)

そうか「多数派」が、コスト等様々な事を考慮し、生活しやすいようにデザインされているだけなんだ!!!

ということは、「障害とは?」「障害者とは?」

つまり障害とは、障害者基本法の②③の部分
②社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態
③障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のもの

であり、障害者とは、
環境・人等、多数派のためにつくられた社会が原因で、何らかの障害を被る人なのだと考えます。

なので、私は社会への問題提起を込めて、
最近は、「障」「障者」と書きます。

もちろん考え方、感じ方は様々ですから、決して私の感じ方を押し付けるつもりはありません。

しかし、せめてまず、福祉人のみなさんには、ぜひこの事を知って欲しいと思いブログにしました。
(すでにみなさんはご存知ですかね)
最後に、坂井聡先生と三宮華子先生の著書を紹介しておきます。
例によって、私のアフリエイトリンクで貼ってありますので、リンクを踏みたくない方は、それぞれ検索してください。(ちなみにリンクを踏んでも何の損にもなりませんので、私のブログを応援してくれる方は、安心して踏んでもらえると嬉しいです。)

自閉症スペクトラムなど発達障害がある人とのコミュニケーションのための10のコツ

自閉症や知的障害をもつ人とのコミュニケーションのための10のアイデア―始点は視点を変えること 

おうちでタッチケアぐるーみん

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