福祉人のみなさんお疲れ様です。
突然ですが、あなたの事業所に虐待はありますか?
「そんなのあるわけないよ~」
本当ですか? 言い切れますか?
残念ながら世の中では日々、虐待の報道がされています。
私は「グーグルアラート」という自分が登録したキーワードに基づき、
WEB上の新着ニュースが毎日メールで届く仕組みに登録しているのですが、
「障害福祉サービス」というキーワードで届く内容は、
どこぞの事業所で起きた虐待のニュースが多いです。
(グーグルアラートで検索すれば、やり方はすぐに分かりますよ。)
もちろん全国には何十万の事業所がありますから、
虐待が起きて報道されている事業所は、極々わずかと言えます。
ではその他の事業所で虐待はありませんか?
あなたの事業所では本当に虐待はありませんか?
もっと言えば、あなたは虐待していないと言い切れますか?
もっと言えば、あなたは虐待していないと言い切れますか?
今まで、全く虐待をしていないと言い切れますか?
残念ながら私は言い切れません。
さすがに殴ったり、蹴ったりすること(①身体的虐待)や、
芸能界を騒がしているジャ◯ー◯事務所の(②性的虐待)のようなこと、
利用者さんのお金・年金等を使い込むこと(③経済的虐待)は、
したことはありませんが、
少し威圧的な言い方や態度をしてしまったかな・・・(④心理的虐待の可能性)
と、反省したことは何度となくあります。
私の住んでいる埼玉県では、
とんでもない子どもの虐待禁止(留守番等禁止)条例が話題になりました。
(令和5年10月10日取り下げ)
あれは、育児放棄(⑤ネグレクト)だと言いたかったようです。
あのヘンテコ条例はともかく、
このネグレクトも、支援の現場では起きていることあると思います。
その時の環境や、その人の状況で心理的虐待やネグレクトは起きる
では虐待はどんな時に起きやすいのでしょうか?
①環境
虐待が起きてしまう背景として、環境を考えることはとても大切です。
いくら声高に、「虐待はやめましょう!」「プロとして虐待なんてありえません!」
と、毎日伝え続けたとしても、
慢性的な人手不足だったり、長時間の勤務が続いたりすれば、
イライラしてしたり、利用者さんを放置してしまったりしませんか?
また、誰の目も届かない密室のような環境では、
よっぽどの聖人君子でもない限り、すべての自分の言動を律するのは至難の業です。
人は弱いですからね。
②スタッフ個々の状況
また、人はロボットではないので、その日の体調や気持ちには違いがあります。
「あ~ 昨日は遅くまでゲームやってしまって寝不足だよ」
「昨日飲み過ぎて気持ち悪い(二日酔い)」
「朝、出掛けに家族とケンカしてイライラする」
私も、そんなことが昔はよくありました。(今もあるかも)
そのような状況で、利用者さんといつもと同じように接することは難しいものです。
これの対処方法の1つが、自己覚知だと思っています。
自分は、どういうことがあると、どうなってしまうのかを
事前に把握できていれば、そうならないように準備ができます。
福祉人にとって1番大切だけど1番難しい?自己覚知を徹底解説①
どんなに重い障害があっても意思や気持ちはある
私は虐待が起こる要因の1つは、
「たとえ虐待をしてもバレない」
というスタッフ側の気持ちや、事業所の環境にあると思っています。
例えば、言葉をしゃべらない小さな子どもや、重度の医療ケアが必要な人、
重度の知的障害等の人は、発語が乏しく、自分の身に起きていることを
誰かに伝えることは難しいです。
また、発語はあったとしても、社会との交流がほとんどなかったり、
交流はあったとしても、誰かから「絶対に言うなよ」と、
脅されたり、圧力をかけられたりしていれば、
自分が虐待されていたとしても、誰かに言うことはできません。
つまり、バレないのです。
そしてこれらのさらに根底にあるのが、
少し語弊があるかもしれませんが、
重度の障害者等は、
言葉が無い・しゃべらない = 気持ちや意思もない
と、間違った認識をしている場合があるのだと思います。(意識的にというより、無意識に)
私はこれが大きな、大きな、大きな間違いだと思っています。
どんなに重い障害があろうと、1人ひとりに必ず気持ちや意思はあるのです。
殴られれば痛いし、罵声を浴びれば怖いし、悲しいのです。
できることなら、相手に文句の1つも言いたい(言い返したい)のです。
しかし、それをすることはできないのです。
虐待あるかも起こるかも、意思や気持ちは絶対ある、困っていることがきっとある
私は虐待防止の第一歩は、「ある(かも)」だと考えています。
(一昔前、木村拓哉さん主演のHEROというドラマで、田中要次さんが毎回言う「あるよ」というセリフが流行語になりましたが、それを思い浮かべると覚えやすいですかね。)
・うちの事業所でも虐待があるかも?起きるかも?
→ 日頃からそう考えていれば、事業所内の様々なことにアンテナが立ち、起きている虐待を見逃すことがなくなったり、予防したりできます。人には見たくないものは見えなくなるという特性があります。最初から虐待が無いと思っていれば、起きている虐待も見えなくなります。
・どんなに重い障害があっても意思や気持ちは絶対にある。
→ 無意識にかもしれませんが、重い障害があるから、意思や気持ちも無いと、大きな誤解をしている可能性がありませんか? もしかしたらやり返されるかも?誰かに言われるかも?という人に同じことができますか?
・困っていることがきっとある
→ これも前記したことと似ていますが、重い障害があるから、しゃべれないから、困っていることも無いということではありません。困っていることもきっとあるのです。それを汲み取れる力をつけたいものです。
最後に、令和3年度の報酬改定で障害福祉サービス事業所は、
入職したスタッフがいた場合は、その都度と全職員に最低でも1年に1度の虐待防止研修及び
虐待防止委員会の開催が義務付けられました。
正直それらの研修等と、私がここに書いた「ある(あるかも)」という思いだけでは、
すべての虐待を防止することはできないでしょう。
しかし、繰り返しになりますが、「ある(あるかも)」が、虐待防止の第一歩になるとは思っています。
職員研修等で、まずはここから始めてみても良いのではないでしょうか?
ちなみに、障害福祉サービスについて勉強する時の第一歩としては、
↓の本がオススメですよ~
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